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Posted by: tachibana
とある所で、とある人達の対話を横で聞いていて思った事ですが、誰しも人の欠点を(陰で言うのはともかくとして)面と向かって真摯に言うのはなかなか難しいものだと思います。難しいだけでなく、言う方にもデメリットがかなり出る可能性もあるし、そんなことを考えると子供に大人が注意することはできてもある年を境にだんだん言えなくなってきます。

これは同時に逆のことも言えます。
ある年齢までは自分の欠点などを注意してくれる人も多くいます。
しかし、ある程度の年齢になってくるといきなりみんな言ってくれなくなります。
まぁ、当然です。
そして、いつの間にか自分の周りから人が消えていく、というのもよく見る光景です。

どちらも仕方がないことなのは間違いありませんが、ある種の人の業というか、寂しさのようなものを感じるのもまた事実。

私などは一般的レベルから考えるとかなりずけずけと言ってしまう方なのですがそれにはそれなりに酷い目にもあってきましたし、摩擦も摩擦などというレベルでなく経験してきました。もちろん、そのために絶交状態になってしまった人も少なくはありません。

ただ、今思い返しても間違ってはいなかったな、とも思うのです。間違ってなければよいというものではないとも言えますが、間違っていないならある意味あきらめもつきます。

・・・と、いろいろ考えてみた結果、結局私はそういう性分、という事なのだろうな、と。
雨にも負けずではないけれど、

自分の悪いことろを遠慮なく口にしてくれる人は大切にし
納得できなければ反論し
それが誤解なら誤解を解き
指摘が正しければ素直に認め正し
人の問題点は必要ならば指摘し
共に正し
正しいことは正しい、悪いことは悪いと率直に口にする

そういう人になりたかったわけではないけれど、そういう性分を貫くことに結果的になってしまったな、と。
でもまぁ、ここまで来ると存外そういう自分を嫌ってもいないので、これはこれで良いのだろうと思っているのもまた事実。

とかく人は性分には逆らえないもの、などとうそぶくのも我流の粋なのかな、と思ったり、思わなかったり。
Posted by: tachibana
英語等、ヨーロッパ系の言語を勉強していると結構「バイブルに依る言い回し(あるいは本当の意味でのイディオム)」が結構出てきます。アラビア語などを勉強しているとこれまた当然のように「クルアーンによるもの」が多く出てきます。つまり、こうした外国の言語を勉強するときはそのエリアで支配的な宗教の教典を知らないと意味が分からないものがそれなりにある、という事になります。

そう考えた時、日本語ってそういう宗教に根差した言い回しって少ないですね。知らなくてもどうにかなります。でも、逆に言うとそれはかなり特殊です。交換か得れば日本のように無宗教的な考え方がいかに世界ではマイナーなものかが簡単に理解できると思います。

日本人はもっと宗教というものについて学び、宗教についてのGHQの植えつけたアレルギー反応を克服しなければ、いくら経済大国になろうが、何しようが本当の意味で国際社会を理解することができませんし、ある程度以上の信頼や尊敬を獲得することが難しいのは当然です。

一人でも多くの人が「何かの宗教を」ではなく、「広く宗教を」学んで欲しいといつも思っています。
Posted by: tachibana
この所、人に頼まれて経済学の概論的な話を何回かに分けてしています。
まぁ、1コマ100分で「経済学とは」などという話で1回、マクロを5回、ミクロを5回という感じなので、大して深い話をしているわけではありません。

経済学と私が初めてであったのは高校2年の時。
ゲーム理論に興味を持って、その前提になる経済学をやらないと今一つわからない、という事で日経文庫の「経済学入門(上)(下)」を友人と二人でノートを取りながらの読書会を部活動の一つとしてやりました。ものすごくおもしろくて、わくわくしながらページをめくったり、時に頭を抱えたりしながら、何とか1か月半くらいで読み切りました。

その後、学生と自営業とその他・・・という感じでいくつもの草鞋を履き続け、経営学なんかも楽しくなり、経済学や経営学など色々楽しく学んでいました。実際にはそんな簡単にいくわけはないけれど、経済活動が偏微分方程式で「最適な状態が求められる」などという話も、色々な経済思想もとても楽しんでいました。

で、そんなころからかなりたって、また今度は人にお話しするために経済学というか初歩的な経済原論というかを読み直して、まとめていたのですが昔あんなにわくわくしたのに

「全然面白くない!」

のです。

ともかくつまらない。
全然楽しくない。
昔のあの楽しさはどこに行った?
と、言う感じなのです。
そこで、その原因を考えてみました。

実務ばかりに数十年。現実と理論の解離を実感しすぎて面白くなくなったのか?と最初は思いました。でも、それを言ったら他の理論分野のものもそうなっているはずですが、理論化学も理論物理などは今も面白い。あれだって現実には全然即していないものの方が多いわけですのに。

で、そんな感じでいろいろ考えていてふと気がついたのは、要するに

「人間の造ったものだからつまらない」

という事でした。そう考えるとたしかに法律などにもいつしかまったく魅力を感じなくなっていることにもそこで気が付きました。

ところが同じ人間がこしらえたものでも文学は面白みをしっかりと保っていました。文学も確かに人間のこしらえものですが、これは人間が自分の内なるものの具現化としてこしらえたものです。つまりこれは

「人間が創ったもの」

なのです。
これは人間が生きている証であり人間によってコントロールされたもの、つまり人間によって造られたものではないのです。そう考えると自然科学の理論分野も当然人間が造ったものではありません。

ようするにこの数十年の間に私は自然の営みや人間の営みによって生まれるものにしか面白みを感じなくなっているのだと実感しました。もちろん、社会の営みを軽視するようになったわけではありません。しかし、面白くなくなったのです。

このような形で自分の変化を実感するのは何とも面白いものであります。
Category: General
Posted by: tachibana
ダダ

知性には未来があるが
ダダには何の未来がない
知性の一つはマニアであるが
ダダはダダである


ツァラによって始まった、いや、初ったダダイズムは短命だったがシュールレアリズムという子供を遺した。

呪文を組み立てる時、韻を踏むことの大切さはいうまでもない。

和歌のリズムも、ソネットのリズムも、漢詩のリズムも
ありとあらゆる定型詩のリズムは

呪文のリズムだ

つまり

「こと葉のリず無」

が大切なのだ。

ダダはことばのリズムが「意味を超えた意味」を持つことを示している。
これは新たな呪文を創る者にリズムという意味を与えるのである。
意味を超えた意味こそが真の意味なのだ。

そして私の呪文の子供はシュールレアリズムとなり完結し始まりになる。

無論、リズムという言葉をどう書いてもいい。
表記法にも意味などないのだから。
だから無意味な表記で書けばいい。
そうすることはリズムはよりrhythmになるのだから。


閑話休題。

誰が仔馬に魔力が宿るといったのか?
仔馬には意味がないのに。

子供が発する仔馬に何の意味もありましない。
だから魔力が宿るのだ。

子供ことばの馬と仔馬にどんな違いがあるというのだ。

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Posted by: tachibana
魔女にもっとも必要なものが何かを1つ上げるとすれば、という質問をされました。神性に対する信仰心などは当然としても、色々と悩ましい。
結局私がそこで答えた答えは

「魔女にとってもっとも必要なものを1つだけあげるとするならば、それはリベラル・アーツである」

でした。

もちろん、ここでいうリベラル・アーツは伝統的な三学四科ではなく自然科学、社会科学、人文学、語学のような現代的なリベラル・アーツ、つまり幅広い教養となるわけですが、これがないと自分の見聞きしたものや、見聞した情報等を正しく判断することができなくなってしまいます。

特に魔女の世界は「いかにも正しいことを言っているような評価を得ているまがい物」も多いので、このことは今後さらに強調しても足りないということはないでしょう。

インターネットが普及するということは便利な反面、初心者には特に弊害が多いのです。例えば、私がよく言うことの一つですが、たかだか数年(数年もあれば御の字ということすら多いのですが)で、その道のプロのように騙る人と、本当に長年の実績と積み重ねを持っているプロフェッショナルが同じように情報発信できます。また、まがい物が本物のように騙ることも多々あります。それだけに、安易な道、努力が大して必要がない道、楽しさを前面に押し出した道など、色々なものが出てきます。でも、それらはほとんどがまがい物であるか、あるいは価値のないものです。もちろんこれは魔女に限らずあらゆるジャンルで当てはまります。

そうしたものの真贋を見極めるためには「正確に判断するための必須道具としてのリベラル・アーツ」が絶対に必要なのです。

もちろん、自分の無知を悟ることや、人の話をきちんと聞く、といったような最低限のことも重要です。しかし、それができたとしても悲しいかな、最低限の知識がないとそれがまるで生きてこないのです。

若い人と話をしていてよく聞かされる「各種陰謀論」等も、まともな、しかもちょっとした知識がきちんと身についていればデマだと簡単にわかるものが、いかにもありがたい話のように騙られている、あるいは語っている人を、見ることがよくあります。これなどもリベラル・アーツがないとどうなってしまうかの良い例でしょう。

最近の話題では近々来日するオーストラリア(だったかな?)の人で、シーシェパードという犯罪集団の活動を尊敬して支援、などという犯罪者礼賛が魔法の為に必要なものの例として挙げているとんでもない自称魔女をありがたがっている人もいるようですが、こういうのもリベラル・アーツが決定的に足りない一例でしょう。

ともあれ、こう書きながら、やはり「魔女に必要なものを一つと言われたらリベラル・アーツ」というのは適切な答えの一つであるということがよりはっきりしてきたように思います。
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