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    <title>橘　青洲ブログ</title>
    <link>http://www.seisyu.net/blog/</link>
    <description></description>
    <language>ja</language>
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    <category>Weblog</category>
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      <title>橘　青洲ブログ</title>
      <link>http://www.seisyu.net/blog/</link>
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    <item>
 <title>新刊のお知らせ</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=189</link>
<description><![CDATA[私家版だけを作っていた本が、アストラルパブリケーションから2冊同時発売になりました。<br />
<br />
『魔女の宗教は信ずるに値するか』<br />
（ISBN978-4-903125-00-8）<br />
<br />
『「村の魔女」から「ムラの魔女」へ』<br />
（ISBN978-4-903125-01-05） <br />
<br />
です。<br />
<br />
現在は<a href="http://www.astral.ne.jp/mahoutsukainomise/shop/index.htm">魔法使いの店</a>でのみの販売になっています。<br />
<br />
来年にはアマゾン等からも購入していただけることになる予定です。<br />
<br />
『魔女の宗教は信ずるに値するか』はこのブログの記事として書いたものをまとめた上でさらに大幅加筆訂正を加えて完成させたもので、ちょっと変わった魔女の宗教の入門書になっています。<br />
<br />
『「村の魔女」から「ムラの魔女」へ』は私の考えるコミュニティ論をベースに「村の魔女」が現代の世の中に復活するとしたらどうなるのか？ということをテーマに書いてみました。<br />
<br />
と、宣伝を兼ねた紹介でした（＾＾；<br />
<br />
PS.ご注文のときに一言添えていただけばサインくらいはさせていただきます（欲しい人がいるかどうかは別として…＾＾；）]]></description>
 <category>お知らせ</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=189</comments>
 <pubDate>Mon, 29 Dec 2008 06:07:06 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>日本人にとっての英語</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=188</link>
<description><![CDATA[教育についても少し書いてみようかと思い立ちました。<br />
今回は昨今の英語教育についての話。<br />
異論反論はあると思いますが、メールでも、掲示板でも、そういったご感想も含めていただければ幸いと思います。<br />
<br />
大抵の日本人は英語を中・高と６年も学んでいますが、どうも「英語が使える」というレベルの人は少ないようです。就職情報誌などの募集広告の応募資格の中から「大卒以上」という記述がほとんど見られなくなってからもうかなりの年月が経ちますが、これは「大卒でなくてもよいという企業が増えた」という事ではなく、「大卒が当たり前になったのであえて書く必要がなくなった」という事情によるものです。と、すると、多くの日本人が中・高・大と８～10年英語を学んでいるのにろくに使えない、ということです。<br />
<br />
それでも「英語を使える」という人はやはりかなりの少数派です。事実、英会話スクールや英語教材の広告が大量に出回っている事、その受講生のかなりの割合が大学卒業以上の人で占められているという事実は、それがいかに深刻化を証明しているといえるでしょう。<br />
<br />
ところで、昭和60年改定から始まり、学校の週休２日の定着で一応の完成を見た「ゆとりの教育」は私が大宅壮一を交霊術で呼び出して、「一億総白痴化（1957年２月）」と言い放った貴方は、現状をどう表現しますか、と聞いてみたいほどの、惨憺たる現状を生み出しました。<br />
<br />
また、「音声重視」「習うより慣れろ」といった英語教育が主流になり、文法の教科書は検定教科書から除外され、「読み書き重視」から「聞く話す重視」へと極端に傾斜し、英語教育から理屈の部分が大幅に削除されてきました。また、大学入試もセンター試験の音声試験導入を機に、一気にこの傾向への傾斜に拍車がかかりました。<br />
<br />
しかし、私は素朴な疑問を覚えるのです。<br />
いくら国際化が叫ばれていたとしても、現代の日本で「英語が話せなくて困った」という経験をする人のパーセンテージはそんなに上がったのだろうか？ここ１年で英語が話せずに本当に困った、という人はどのくらいいるのだろうか？英語を使う仕事についておられる片ならともかく、ほとんどの日本人は「英語が話せなくて困った」という事態に陥った経験というのは大して増えているわけではないのではないだろうか？と思うのです。それに反して「英語が読めなくて困った」という人は意外と多いのではないかと思います。また、インターネットがここ数年で一気に普及率を上げ「インターネットという文字の世界」の第一言語が英語であるということから「英語の読み書きの必要性」を身近に感じた人はかつてより桁違いに増えているのではないか、と思うのです。<br />
<br />
英語の読み書きを求められることは家庭の中にまでインターネットを通じて入り込んでいますが、いきなり自宅に毎日外国人が来て英会話を必要とする、という事態はほとんどの日本人には無縁なのではないでしょうか。そう考えると、学校教育の音声重視への極端な傾斜や、英会話学校の隆盛などは、広告などによって踊らされて「必要性を感じさせられているだけ」で、実は多くの日本人にとっては「読み書き」の方が依然と必要な英語力なのではないかと思います。<br />
<br />
また、この音声重視、会話重視の傾向は、英語学習を薄っぺらなものにしているという側面もあります。この20年は受験参考書を筆頭に、書店の学習書の棚から分厚く骨のあるハードカヴァーの本を、薄っぺらなソフトカヴァーの本を駆逐した20年と言えますが、語学の分野においてはそれがことさら顕著だといえなくもないと思います。また、薄っぺらなもので何とかしようとすれば、当然冊数が必要になり、出版社や教育産業の業者には大変なうまみを提供しているのも事実です。ですから、「売り手側」としてはどんどん読者や利用者が低レベルになってくれればくれるほど儲かるというのも実情でしょう。それでも「質の悪いものは消費者に受け入れられずに自然淘汰される」という信念の元、「大衆は賢い」という世迷いごとを言う人もいますが、実際に駆逐されているのは商業主義とは無縁の血の通った本であり、良書が悪書に駆逐されている、という現状です。そう考えると「大衆」という言葉が「愚民」という言葉と同値のものに感じてしまいますし、私からしてみればまったく同値の物に見えてしまっています。<br />
<br />
閑話休題。<br />
ともかく、英語の読み書きができれば事足りる人が実際には圧倒的多数を占め、また、読み書きがきちんとできる人なら音声教材や英語のラジオ放送などを聞いていれば「聞く、話す」という能力はそんなに苦労しなくても身につく、という事実を考えると、やはり外国語というものは「読み書き」にしっかりと取り組むべきものだと思いますし、それが「読み書き聞く話す」という４方向の能力を身につける最短かつ確実な方法だと信じます。<br />
<br />
ただ、それは商業主義とも、努力をできるだけ廃して「楽にマスターしたい」（気持ちはわかりますが）という需要とも対極をなすので時代と共に受け入れられなくなっていくのも理解はしています。<br />
<br />
最後に１冊の本について書いておきたいと思います。<br />
それは「ダボス会議で聞く世界の英語」（鶴田 知佳子、柴田 真一 著　コスモピア刊）という本です。<br />
<br />
この本の価値はそのCDにあります。26カ国、その多くが英語を母国語としない人たちの英語スピーチです。各国語に由来する独特の訛り、しかし、どの英語にも気品と格調があるのです。著者がその中で語る「世界各国で話される多種多様な英語はすべて同等」という考え方には感動を覚えます。これは音声教材をメインとした本でありながら「音声重視」の英語教育に対する強烈なアンチテーゼでもあります。「ネイティブらしく英語を使う」ことなどという「くだらない妄想」など早く捨て去って、堂々と「自分の英語」を話せばよいということを実感させてくれます。そして、自分の英語とは「日頃自分がなにをどう考えているか？」であり、「どれだけ英語で書かれた本を読んでいるか？」であり、「どれだけ自分で英文を書いているか？」であり、なんといってもノンネイティブの英語をネイティブの英語に「近づける」こととは無縁だということを各発言者の「格調ある英語」が私たちに教えてくれます。真のグローバル化とは何か？ということをこうしたものを材料にしっかり考える力こそ、私たちの英語教育にとって最も大切なものだとあえて断言して結びとします。<br />
<br />
※今回から本を紹介する場合にはアマゾンのアフィリを導入することにしました。ここから発生するアフィリ報酬は全額児童福祉施設など必要とされるところへの寄付とさせていただきますので、もし興味をお持ちになられましたらぜひよろしくお願いします。<table width="320" border="0" cellspacing="0" cellpadding="0"><br />
  <tr><br />
    <td width="160"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=seisyu0c-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4902091542&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></td><br />
    <td width="160"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=seisyu0c-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4902091496&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe> <br />
    </td><br />
  </tr><br />
</table>]]></description>
 <category>教育</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=188</comments>
 <pubDate>Sat, 1 Nov 2008 18:16:14 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>オーラ、霊能力など</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=187</link>
<description><![CDATA[魔女になるとオーラが見えますか？<br />
魔女になると霊能力が身につきますか？<br />
<br />
と、いう質問を受けることがあります。<br />
結論から言えば、<br />
<br />
これは｢魔女になると箒で空を飛べますか？｣<br />
<br />
と、いう質問と大差ありません。魔女になったからといってそういう能力が身につく、などということはありません。<br />
<br />
ただ、箒で空を飛ぶのと違うのは、オーラを見たり、霊能力を身につけたり、ということをしている人は実際にいる、ということです。<br />
<br />
これらの能力を持っている人は、生まれつきこうした能力を持っている人が多いようです。また、修行や訓練をすることでこれらの能力を身につけた人もいます。しかし、これは｢魔女とは無関係｣です。魔女の訓練や修行には基本的にそういう訓練や修行は通常の場合ありません。もちろん、そうした能力を元々持っていたり、何かの拍子に身につけてしまい、その力に振り回されてしまっている人に｢力のコントロール法」を教える事はあります。また、中途半端な能力でかえって不都合がある場合はその能力をさらに強める訓練をしてコントロールほうを教える事もあります。<br />
<br />
しかし、これは魔女とは基本的には無関係です。魔女でもそうしたことをしない人も多くいます。私に関して言えば、私自身がたまたまそういう技術を知っているから必要ならばそれに応じてお教えするくらいで、それだって積極的に、ということはありません。ましてや霊能力を身につけたい、という人に手ほどきをする、などということはまったく無意味で無価値だと思っているので、方法は知っていても（知らないとコントロールを訓練することができないので)決して人に教えたりはしません。<br />
<br />
ちなみに霊能力というものは商売にして儲けよう、というのでなければ邪魔になることはあっても役に立つ、というものではありません。<br />
<br />
しかし、オーラはちょっと違ってきます。<br />
オーラを見るということは、それが人でも、ものでも、動植物でも健康状態や生命力をみるという意味で役に立つ事があります。ですから、オーラの見方、は私も人にお教えすることが結構あります。<br />
<br />
ただ、この「オーラが見える｣というのも問題がないわけではありません。<br />
<br />
特に、生まれつきオーラが見える人は「オーラが見える｣というだけで自分には特殊な能力や才能があると勘違いしてしまう人が結構いるからです。<br />
<br />
また、かりにオーラが見えてもそれがどういうことを意味しているのか細かい事を判断するのは相当の知識と訓練が必要ですし、ましてやオーラを調整するなどというのは他のエネルギーワークなどが完全にできていないと話になりません。オーラの調整は基本的にエネルギーワークですから｢オーラが見える｣というだけではまったく話にもならないのです。<br />
<br />
ところがテレビなどの影響でしょうか、「オーラが見える｣というだけで｢オーラの調整をします｣などといって怪しげなことをいったり、したりしている人が最近増えてきているような気がします。これは何も役に立たないどころか、かえって悪化させてしまったりすることのほうが圧倒的に多いのです。ちょうど、「解剖図を覚えたから｣といって素人が「手術をしてあげます｣と言っているようなものなのです。<br />
<br />
どんな能力も、どんな力もコントロールできてはじめて｢使える｣といえるのです。これは当たり前のことで、たとえば自動車を動かすことは小学生でもできますが、きちんと運転することはできないのと同じ事なのです。<br />
<br />
最近立て続けに何件もこうした質問を何人もの方からお受けしたので、一度私なりの考え方を書いておくのもよいかな、と思って簡単にまとめてみました。]]></description>
 <category>徒然なるままに</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=187</comments>
 <pubDate>Thu, 9 Oct 2008 15:03:31 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ヨガ</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=186</link>
<description><![CDATA[私の乏しい経験、しかもかなり以前のことになってしまいますが。<br />
<br />
生死の境を何度も越えていく中で、もうそんな経験とは縁を切りたいとヨガに打ち込んだ頃がありました。多くの方々が仰る通りヨガは本当に奥深いと思います。私はその一部を、しかもほんの触りをなでたくらいでしかありませんが（＾＾；<br />
<br />
結局私がヨガについて感じた(学んだ、とまではいえないのであくまでも｢感じた｣ですが…）事は３つだけでした。<br />
<br />
１つは｢自分を見つめる｣ことです。結局私は何なんだろう？というとことを自分に問いかける事。<br />
<br />
２つ目は神、あるいは女神に対しての爆発的な、抑えがたい感情。<br />
<br />
３つ目は自分の意思を極限まで絞り込んで集中させること、でした。<br />
<br />
しかし、こう考えると私のヨガは瞑想と変わりないなぁ…（＾＾；<br />
]]></description>
 <category>魔女の訓練</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=186</comments>
 <pubDate>Sun, 7 Sep 2008 06:48:44 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>村の魔女コミュ</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=185</link>
<description><![CDATA[ほんのできごころで（笑）ミクシィに「村の魔女コミュ」を作ってみました。<br />
<br />
Wicca系のコミュはたくさんあるのに、村の魔女関係は物語とかファンタジーに関係するものしかなかったのでとりあえず1つくらいあっても良いかな？と（＾＾；<br />
<br />
何も決めていないので、これからどうするか少しづつ考えていこうと思います。]]></description>
 <category>お知らせ</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=185</comments>
 <pubDate>Fri, 29 Aug 2008 08:09:45 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ラヂヲのページ第３弾♪</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=184</link>
<description><![CDATA[第１回はそこそこの人数の方に聞いていただいていたのですが、第２回はぱっとせず…と、思ったらここ数日で一気に聞いてくださった人数が増えました♪<br />
<br />
と、いうことに喜んで<br />
<br />
第３弾収録完了♪<br />
<br />
しました。<br />
<br />
ちょっと今回は今まで書いていることのまとめ的な話が多かったり、ちょっと（？）コマーシャルっぽいところがありますが、ご容赦下さい（＾＾；<br />
<br />
第４回も頑張るぞ♪♪<br />
<br />
と、さらに調子に乗っております（笑い]]></description>
 <category>お知らせ</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=184</comments>
 <pubDate>Wed, 20 Aug 2008 06:34:04 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>村の魔女がいる村</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=183</link>
<description><![CDATA[私が司祭長を務めておりますOriental Wiccaは「村の魔女の伝統を受け継いだ魔女の宗教」です。<br />
<br />
今までに書いてきましたように、魔女の宗教には基本的に「神による救い」という考え方はありません。そして、それをどう考えるかはそれこそ魔女の数だけ解釈があるわけですが、私が受け継いだ伝統にしたがって言えば、<br />
<br />
「神と女神による直接的な救いはない（この部分で盲信を否定しています)けれど、神と女神の力を借りて人が人を助けるという形の救いは積極的に肯定する｣<br />
<br />
というものが「魔女の宗教における救いの原点」となります。<br />
<br />
簡単に言えば、村の魔女は「村人という魔女でない人」を人間として救うために、神と女神から特殊スキルや知恵などを授かり、それを使って村人のために働いていた人たち、といえると思います。 <br />
<br />
しかし、現実問題として、村の魔女の伝統は受け継いでいても、またその教えをどんなに現代にあわせて修正していったとしても大きな問題があります。それは、<br />
<br />
「村人がいない」<br />
<br />
ということです。これは本末転倒です。<br />
そんなことからここ何年もの間、私なりに色々考えてきました。<br />
その結果として、<br />
<br />
・魔女になるのにそれなりの覚悟がいる、そういう魔女の道を歩もうとしている人たちのためのもの<br />
<br />
・いい加減では困りますが、そんなに必要以上に覚悟がいらず、あるいは魔女になるまでもないけれど、魔女が身近にいるといいな、と思う人たち（村の魔女がいる村の村人のようなものです）のためのもの<br />
<br />
と、2つに分けて考えて、その上で今までまったく需要に応える事ができなかった後者にお答えできるものを創るべきなのではないか、と思うようになってきました。<br />
<br />
しかし、そう思ったものの、実際には非常に難しいものでした。<br />
そこでようやくILHという集まりを作ることで「村の魔女のいる村」を再現する試みを行ってみようと思いした。<br />
<br />
とはいえ、こんなものを一人でできるわけもありません。幸い協力してくださる方が一人増え、二人増え、という形でようやくサイトの完成にまでこぎつけました。<br />
<br />
サイトはこちらです。<br />
<br />
<b><a href="http://www.inner-light.org">Inner Light House</a></b> 　（←こちらからサイトに行けます）<br />
<br />
まだまだ未完成のものですし、集まってくださる方々のお声で日々変化していく（村なのですから当然です）と思います。ご興味を持っていただいた方にはぜひ遊びに来ていただけたら、と思います。]]></description>
 <category>☆お知らせ☆</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=183</comments>
 <pubDate>Tue, 19 Aug 2008 00:52:44 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>魔女の宗教は厳しい？</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=182</link>
<description><![CDATA[私のブログを読んでくださっている方から「ブログを拝読して、信仰、宗教は厳しいものと思いました」「救いはないのでしょうか？｣というご指摘を頂きました。<br />
<br />
私は確かに宗教に対する厳しさを強調する傾向があるのですが、あくまでも宗教者としての本来の部分を述べているだけで、一般的な信仰は厳しいという事は取り立てていっていないのです。ただ、厳しさを意識して書いていたのも事実です。<br />
<br />
私が厳しさを強調する理由はそれなりにあります。<br />
<br />
①信じるものは救われる式の、祈っていればご利益が、と宗教に対して思っている人が日本には多く、ネット上に発表するものの場合、どんな人が読むかわからないので｢この宗教に入れば救われますよー｣という空手形を節操なく切る、破壊的カルトのような勧誘とは無縁だという事を「理論的に否定｣しておきたかったという理由。 <br />
<br />
②ウイッカンと称する人たちが宗教を前面に出し(これは正しい事だと思います)、その上で「全員司祭」という言い方の中に｢神と直接つながる者｣という意味だけでなく、専門者としての司祭（例えばプロテスタントは万人司祭ですが牧師がいますよね。あの牧師と同じ意味で考えていただけばイメージしやすいと思います)の意味まで含めて語ることを最近あまりに多く目にするので｢そういう意味で使うなら心構えは大丈夫でしょうね？｣という｢魔女としてではなく、宗教者として」の彼らへの問いかけ。 (もちろん、謙虚に個人の信仰として実践していらっしゃる方も多く、そういう方々に関してではありませんし、そういう言い方をしない方もいらっしゃるのも事実ですから、ある意味そうした方々への私なりの応援ともいえます）<br />
<br />
もっとも、この点については、ウイッカンと呼ばれる方の中には、誰も把握しきれないほどの多くのものが存在しているので、あくまでも私が目にした範囲で、という意味である事をお断りしておきます。ですから、一般論としていっている、という決め付けはご容赦下さい。<br />
<br />
③宗教者としての私は、自分の信仰をどう捉えているかの一例。 <br />
<br />
④ニューエイジ魔女を含め、あまりにもお気楽に考えている人たち（彼らを否定はしませんが)に私は仲間じゃないよ、という意思表示。 <br />
<br />
⑤第三者に仏教、キリスト教、イスラームなど他の伝統のある宗教と魔女の宗教が比較されたときに｢きちんとした宗教だ｣と認識できるようにするために誰もほとんど書いていないことを明記しておく、という魔女の宗教全体への外部からのアクセスに対する回答例。 <br />
<br />
ざっとあげればそんなものだと思います。 <br />
ですから魔女の宗教を志す人全てに厳しさを求める、というのではないのです（＾＾； <br />
<br />
書き方が悪くて志願者を含む全ての人にそういうことを求めている、という読み方ができてしまうというご指摘を頂いてはっとしました。今後は表現方法、前後に書いた文章との強弱の問題など、色々とよく考えて、そうならないように改めさせていただきます。ご指摘くださった方には改めて感謝いたします。ありがとうございましたm(_ _)m）<br />
<br />
救いはないのか、という点においては、 私の受け継いだ伝統的ウイッチクラフトには｢救いの考え方」はあります。 <br />
<br />
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、私のブログで「救い｣という言葉の検索をすると一通りのことはざっと書いてあります。 <br />
<br />
詳しくはそっちを見ていただくとして、簡単に言えば、村の魔女は村人という魔女でない人を「神と女神に仕える人間として」救うための特殊スキルなどや神と女神に授かった知恵をもとに働いていた人たち、といえると思います。 <br />
<br />
まとめてしまえば「神と女神による直接的な救いはない（この部分で盲信を否定しています)けれど、神と女神の力を借りて人が人を助けるという形の救い｣が伝統的ウイッチクラフトにおける救いの原点なのではないかと思っています。 <br />
<br />
魔女の宗教一般としての答えは，一言に魔女の宗教と言ってもあまりにも色々ありすぎて「魔女の宗教における救いはこうだ｣と一般論的に言い切ることはできません。(できる人は誰もいないでしょう)<br />
<br />
と、自分のいたらなさの反省と誤解を与えてしまいそうな部分の補足、ということでまとめにいたします。<br />
]]></description>
 <category>徒然なるままに</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=182</comments>
 <pubDate>Fri, 15 Aug 2008 21:28:10 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>公教的なもの</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=181</link>
<description><![CDATA[魔女の宗教が神秘宗教だ、ということは、その宗教を信仰している人がどういう表現をしていたとしてもその閉鎖性から明らかです。そして、その是非はある意味どうでも良いものだと私は思っています。<br />
<br />
神秘宗教の対比語は公教になるのですが、一般的な解釈を当てはめれば現代の魔女に公教はありません。魔女に公教が必要か？という問題について耳にすることも最近は増えましたが、私はそういうニーズがあれば公教は必要だと思っています。<br />
<br />
ただ、一般的に言う公教という形が今必要か？と問われれば正直悩みます。魔女の宗教は良し悪しは別問題として、そういうものをしっかりと形作れるほどの体系性というか、いいかえれば論理的なまとめといえる体系を持っていないからです。これは村の魔女たちの多数のホームトラディッションがあり、さらにその断片を元にガードナーがウイッカにまとめて…という歴史を考えても、ある意味当然ですし、それが魔女の宗教の魅力になっているという側面も否定はできないからですし、私も否定する気はありません。<br />
<br />
ところで、私の受け継いだ教えは、いわゆる村の魔女にそのルーツを持ちます。その中の大切な柱として「魔女は村人を助ける存在である」というものがあります。当然今、かつて村の魔女が存在していた時代のような村はありません。しかし、教えや知識、技術という面では、必然的な意味で閉鎖性はありましたが、それは魔女になる、という部分においての閉鎖性であり、語弊を恐れずに極論を言えばそもそも「基本的に魔女は開かれた存在」といえる思想でした。<br />
<br />
私は魔女となり、ずいぶんと経ってから、他の魔女の方々とお話しする機会を初めて得ました。そして、私が戸惑ったのは現代の魔女の考え方と私の考え方に本質的な部分でずれを感じたことでした。私以外の多くの魔女にとって魔女の世界とは閉鎖的なものだったのです。これは私が教えられていたものと大きく違った部分でした。また、魔女についての情報発信を魔女自身が行い、その素晴らしさをといているのに、いざ魔女になりたいと思った人がいても、その門は異常にくぐりにくくなっている、というある意味意地悪にも思ってしまうような現状でした。誰でもが入れる道ではない、神秘宗教なのだ、というなら、なぜ一般の人に対しての情報発信をするのでしょうか？その辺に関しては正直今現在も私には理解できていません。<br />
<br />
逆に一般的な人たちの魔女に対する考え方も誤解の坩堝です。悪魔に祈りを捧げて、残虐な儀式をしている、などというホラー映画の世界そのままのイメージの人がいるかと思えば、好意的な人でもホウキで空を飛んだり、ステッキ一振りで魔法を使ったり…と。当然どちらも事実とはまったくかけ離れています。<br />
<br />
魔女ができることは占いで未来を知ったり、悪い未来を改善する方法を知っていたり、ハーブの使い方や、「効果のある困ったときの神頼みの仕方」を知っている、そして、多くの人の相談を受けてきた経験から普通の人とは違った視点からのアドバイスができる、大体こんなものでしょうか。でも、それらは意外と必要とされていることなのではないかとも思います。<br />
<br />
さて、そう考えると、<br />
<br />
①魔女とは関係のない人たちや興味も大して持っていない人たちにも少しは役に立つもの<br />
②魔女になりたいと思う人が入門的に関わることができるもの。<br />
③魔女になるかならないかは別としてただ祈ったり、ただ感謝をしたり、ただお願いをする、という要求にこたえられるもの<br />
④魔女の伝統と現代の情勢のすり合わせをして将来を試行するもの<br />
<br />
これらがとりあえず今までよせられたニーズにこたえることができる「公教的なもの」といえるのかもしれません。こういうと色々ご意見、ご批判などがでると思いますが所詮たたき台なのでそれは仕方ないでしょう。<br />
<br />
そもそも私の受け継いだ魔女の思想では「開かれた魔女」が原則なので、そろそろ閉鎖性の居心地のよさから片足出すくらいの気持ちで、とりあえず、そんなところからはじめてみようかな、と思っています。]]></description>
 <category>徒然なるままに</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=181</comments>
 <pubDate>Mon, 21 Jul 2008 13:19:17 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>ラヂヲのページ第２弾♪</title>
 <link>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=180</link>
<description><![CDATA[好評だったので調子に乗って第２弾をアップしました。<br />
お世辞半分（いやもっと？）だとしても私は素直に受け取ります（笑い<br />
今回は「新コーナー」を作りました。<br />
今後ともよろしくお願いいたします。]]></description>
 <category>☆お知らせ☆</category>
<comments>http://www.seisyu.net/blog/?itemid=180</comments>
 <pubDate>Sun, 6 Jul 2008 11:29:53 +0900</pubDate>
</item>
  </channel>
</rss>