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コミュニティについて

コミュニティ論の背景

コミュニケーション

 
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 コミュニティについて
私がコミュニティを考えた理由
 

 そもそも私がコミュニティというものを考え始めたのは「色々な意味で困った人がここに来れば希望がわいてくる場」を作りたいと思ったからでした。

 もちろん、昔の駆け込み寺や、今でいういわゆるシェルターのようなもので「今困った事態にある人」が安心して救いを求めることができる場、というのは前提でありますが、もっと広く、たとえば「生きがいが見出せない」「生きている意味を感じられない」などというような生活に眼に見えて困っている、というだけでなく「生きることに困っている人」に対しても応えられるような場を作りたいと思ったのです。

 もちろん、私は宗教者ですから、宗教的な施設はもちろん運営の中心に置きたいと思っています。「喪失への不感症」でも書きましたが、法律という外側からの規制だけではなく、もっと内側の良心による規制をみんなが当たり前のこととして共通して持っている場を作り、そこに困ったり、傷ついた人たちがいつでも助けを求めてくることができる、そして困難を乗り越えた人の中の何人かが今度は助ける側になりたいと思ってそれを生きがいとして実現していくこともできたら素敵だな、と思ったのです。

 また、宗教施設を中心におく目的は「村の魔女がいる村」のようなコミュニティにしたいと思ったからです。(このあたりの詳しいことは拙著『「村の魔女」から「ムラの魔女」へ』を参照して下さい)

 さて、コミュニティでは原則的に自給自足を前提にしたいと思っています。もちろん、完全自給率を確保しようとしても物理的に不可能なものや技術的に不可能な部分はあるでしょう。たとえばコミュニティが山の地域にあったとしたら、海産物の自給は不可能でしょうし、海辺であったら米の自給は事実上不可能です。そうした無理は別として、可能な限りで自給率が極めて高いことを目標にしたいと思っています。

 また、学校も作りたいと思っています。学校は大学を核に最終的には幼稚園から大学院まで併設する形に整えます。

 これにより、学園都市をモデルに「学問都市」というモデルを提唱したいと考えています。学園都市は単に学校という地域にとっては大きな市場ができることで、その消費に経済を依存する率が高くなる都市モデルですが、経済的に依存というよりも学校自体がコミュニティの機関になるような形を考えています。たとえば、大学に医学部を設置して大学付属病院で24時間体制の医療を提供したり、低所得で十分な医療サービスを受けることができない人には場合によっては無料で診療できるような体制を整えたいと思います。また、コミュニティの住民の手によって作られた食材での病人食の提供や、学生にも農作業などの実習を全学校の全学年に取り入れることによって「自分たちで作ったものを自分たちで食べる経験」や「自分たちが作った食材で病気の人を癒すことをさせてもらえている」ということを経験してほしいと思っています。

 大学は医学部、看護学部を中心にアジア諸国からの留学生もそれなりのパーセンテージで毎年受け入れ「日本で学び、自国で活かす」という学問の中心地にしたいと考えます。そして、大学と卒業生の勤務、あるいは開業する病院をネット回線で常時つなぎ、自分の専門外の患者が救急で運び込まれたときには大学に問い合わせれば必要な応急の指示が受けられることを保障したいと思います。共感できる価値観を持った者同士が、高度な情報化社会において連携していける一つのモデルケースを作ることができるでしょうし、それは他の分野にも応用発展されていくと思います。

 従来の学園都市は学生がそこで学び終えて帰郷した後にはせいぜい思い出の地でしかなかったのに対して、卒業後、どんなに離れた場所に帰っていったとしても「学問という太い絆」で生涯つながっていく、そういう心のよりどころだけではない生涯のよりどころとなる場所に育てていきたいと考えています。これはあくまでも医学、医療関連での例ですが他の学問分野でも、同様の工夫はいくらでも出てくるでしょうし、要望も出てくるでしょう。そうしたことに丁寧に一つ一つ答えることでコミュニティの価値はより大きなものになるに違いありません。これが私の考える「学問都市」の基本的な考え方です。

 さて、宗教施設を整えた学問都市を基盤に、さまざまな可能性を作り出すことができます。学問から離れた例を一つ出せば「リアルでハロウィンを町中で楽しむ町」ということもできるでしょう。そうしたコミュニティ独自の文化を創造することもコミュニティが単なる退避場所や勉学の場以外の機能を充実させるものになっていくと思います。

 こうしたコミュニティを丁寧に創り育てることで、やがては「困ったときにはここへ」という多くの人のよりどころになっていくことも可能だと思います。

 そうすれば、自分の主体性を育てる環境を共に作っていける場であり、一人一人の人間としての可能性を育てることができる場にもなるでしょうし、何よりもこうしたコミュニティならば、コミュニティ全体がファミリーのようなものであり「自分がいるべき場所」を一人一人に対して作り出せる上に、誰もが安心感と自信を持って「自分の場所」を作り出せると思うのです。私はこんな思いで「コミュニティの創造」を考えています。

 

 

© 橘青洲 All right reserved.