category
コミュニティについて

コミュニティ論の背景
 1.コミュニティ思想のベース
 2.教育論
 3.医療論
 4.社会論
 5.国際関係論

コミュニケーション

 
link



 コミュニティ論の背景
2.教育論

2-1 宗教教育の必要性

 

宗教教育と一言でいっても、その中には、

@宗派教育
A宗教知識教育
B宗教的情操教育
C対宗教安全教育
D宗教的寛容教育

が大きく分けるとあります。(「現代教育科学 1996年6月号における三輪辰男氏の指摘による5分類。それまでの一般的宗教学では@〜Bのみの三項目のみであった。しかし、私もこの三輪氏の指摘による5項目とする方が、特に日本社会の現状においては現実に即していると思い、現段階ではこれを採用することとしている)
@の宗派教育は特定の宗教の教義などを教えることで、信仰として教えることです。なので、これはほとんどの人が最初に思いつくイメージだと思いますので特に説明不要でしょう。

 Aの知識教育は様々な宗教の知識だけを教えることです。たとえばキリスト教の歴史や、聖書の教えの要点、どういう国がキリスト教国なのか、あるいはイスラームはどういう教えで、クルアーンにはどのようなことが書かれており、どういう歴史なのか、仏教はどういう教えで、どういう経典があるのか、日本の仏教の特徴や日本の仏教の歴史について、などを知識として教える、ということです。イメージとしては日本史、世界史の宗教史と倫理社会などで出てくる各宗教の紹介のようなものを、宗教ごとにまとめて憶えるようなものです。これは学校などでも国語、社会、芸術の教科などで部分的には触れているものでもありますが、宗教知識教育という意味では一部の宗教系の学校を除いては学校教育では触れられず、部分的に触る程度で終わってしまい、かといって社会人教育でこうしたものを学ぶ機会はほとんどないので、実質的に日本人の多くにとってはまったくなされていない教育といえるでしょう。

 Bの宗教的情操教育は特定の宗派にとらわれない「宗教心」を養うことです。これは文部科学省が道徳教育で「人間を超えたものへの畏敬の念」として推進しているものに近いものでしょう。

 Cの対宗教安全教育はオウム真理教に代表されるような破壊的カルトに関わってしまい、人生に大きなダメージを与えられてしまったり、あるいは霊感商法を見抜くための知識といった、本来の宗教がわかっていれば引っかからないですむ宗教の仮面を被った悪徳商法や洗脳対策教育です。ある意味、消費者教育に似ているといえます。またマインドコントロールに対しての知識などもこれに含まれてくるかもしれません。また若い人に多いオカルトや超能力に対しての自然科学的批判能力の育成も大切なことでしょう。私はオカルト的なもの、あるいは超能力などを頭ごなしにすべて否定するという立場ではありませんが、そうした立場をとっている私から見てですら、自然科学的な視点や客観的な批判能力を失っている人が多いというのも事実だと思うからです。

D宗教的寛容教育は、特定の宗教を危険視して差別を作ってしまったり、自分たちが信仰を持っていようがもっていなかろうが、自分たちが自然には受け入れられない様々な宗教思想などをまづ理解して、そうした信仰を持っている人の考え方を理解したり、外国の文化を理解するために色々な宗教の各々の立場理解し、互いに尊重しあう教養を育てることです。

 以上の5つの視点が相まって、宗教教育、その結果として宗教的教養が身につくのではないかと思うのです。そして、これは私たちが社会生活をしていく上で非常に大切なものだといえます。

 ところが多くの日本人は宗教に対して無知であったり、自分の無知を自覚しないで「自分はものがわかっている」と愚かに信じ込んでしまったり、などの理由からか、宗教教育というと@だけに決め付け、無用論を唱える人が多いのが実情です。無知ゆえにそう決め付けてしまうのは仕方がないと思いますが、無知なのに宗教というものを自分がわかった上で判断している、と思っているとしたらこれはかなり悲惨です。固定観念で自分が知らないものを知っているかのように振舞う神経はその人の人生が実はかなり悲惨であるということを物語っているのです。反論する人もいるかもしれませんが、その反論に対しては「浅薄な知ったかぶりをしているだけだ」という一言ですんでしまいます。

 さて、私が必要性を感じるのは特に「宗教的情操教育」と「対宗教安全教育」で、その上での「宗教的寛容教育」です。「宗教知識教育」はそれらを学んでいく中で必要に応じて、というのでもよいと思います。あるいは高等学校の倫理の延長のような形でどこかでまとめておく形でもよいと思います。宗派教育は宗教系の学校ならばそれに従ったものとしてカリキュラムに入れられるでしょうが、ここでは「誰にとっても必要なもの」という視点で考えていますので、その必要性はそもそも論じる必要がないでしょう。

 こうした教育をしっかりとしたものとして行うことで、法律のような外から強制された規範ではなく、人間の内側から出てくる良心などのもっと高度な規範を身につけることができるのです。また、日本が例外的に自覚的宗教を持つ人が少ない国、というだけで外国のほとんどの国は「自覚的信仰を持っている方が普通」ということが常識なのですから、宗教に対する知識や考え方を見につけずに真の国際化などはありえないこともここで指摘しておきたいと思います。                         

(2008年5月28日於盛岡)


 

 

© 橘青洲 All right reserved.