3.宗教を信仰している人は普通ではないのか?
悲しいかな、日本の現状では当然そう見えてしまうことが多いと思います。
宗教からわかりやすい部分(習俗的な宗教)をとってしまって、その上で「宗教を信仰している人」という目で見ると「よくわからないことをやっている人」になってしまいますから、そう見えて当然なのです。
宗教というのは簡単に言えば仮説体系です。人間の死、幸福、不幸など答えが出ないものに対して答えを出しているのです。そして、その答えは全体的にきちんとした理屈が通っていて、お互い矛盾しないようにできているのです。
このことをもう少しわかりやすく言うと、1+1=2ということを説明するのに、『りんごが一つあったところにもう一つりんごを持ってきました。すると2になります』という説明や『大きなコップに小さなコップの水を入れたら半分になりました。そこにもういっぱい同じコップで同じだけの水を入れたら大きなコップはいっぱいになりました』という説明など、同じことを色々な説明の仕方で説明することができます。宗教もこれと同じで、死というものを色々な言い方で説明したり、幸福というものを色々な言い方で説明したりしているのです。ものすごく乱暴な言い方をしてしまえばその説明の仕方の違いと仮説の違いが、仏教やキリスト教などいろいろな宗教の違いになっているのです。
死、幸福、不幸、悩みなど、人間が生きている間に経験するさまざまな『自分の力だけでは解決できないもの』に対して、色々な方法で説明しているのが宗教なのです。そして、その説明の仕方が宗教ごとに違う上に、いろいろな工夫をして独特の説明の仕方をしているので、その宗教のことをよく知らない人から見れば「よくわからないことをしている人たち」になってしまうのです。
これは、物理学者が難しい数式を使って話し合っているのを見た一般の人が「よくわからない言葉で熱心に話している人たち」に見えるのと同じなのです。
ここで一つ考えなければいけないことがあります。
それは「普通と違う」ということについてです。今の例で出てきた物理学者は普通の人から見たら間違いなく「普通と違う人」です。また、ヘレン・ケラーやキュリー夫人、エジソンなども、どう考えても「普通と違う人」です。
このように立派な人も全員「普通ではない」のです。
ですから、「普通ではない」ように見えるというだけで宗教を遠ざけてしまうのはちょっと考えが足りないということなのです。